無関心な自慰による謝肉祭


 あのころはいつもお祭りだった。バールと暴力が僕の友達。痛みだけを吸収させて僕はおとなになったふりをしていた。
 謎掛けスフィンクスみたいに僕は暴力だけで他人を問いただし痛みだけで答えを求めた。
 それはある種の強要のようなものだったが、僕は形式だけを重視した。大事なのは僕が誰かを襲うということで、それによって生まれた結果は僕の知る由ではなかったのだ。

 子供を襲い大人を襲い女を襲い僕は痛みを与えただけで何かした気になっていた。バールで後ろから人を殴る時の感触は強烈でもう一度もう一度とマスターベーションを覚えたサルのように繰り返した。この衝動がどこまでも続くと知りながら僕は理性を保ち続けていたふりをしていたのだ。
 だけど痛みというものは必ず帰ってくる。だから痛みは他人に疎まれている。僕はなんとなく気付いていた。だけどやめることができなかった。もうルーチンワーク化していたのだ。日々の中に、他人をバールで殴るということが定着していた。だから痛みは加算されていく。その恐怖と闘いながら、それをぬぐい去るために僕は他人を殴り続けた。
 そして、ある日僕は他人から襲われるという痛みを知る。

 
 やけに月が白く光っていた夜だった。呼吸をすると濡れた空気が鼻を通って雨の味がした。人通りは少なかった。
 妹が帰ってきたので、僕は入れ違いに家を出ようとする。バールは下着で固定して背中に隠していた。ひんやりとした鉄の感触が、これからの祭りを想像させた。
「お兄ちゃん」
 妹が言う。夕方に降った雨のせいか、制服にぽつぽつと水滴の跡が付いていた。
「どこいくの」
 僕が無視をしていると妹は話を続けた。
「コンビニ」
 僕が一言だけ告げると、妹はちょっと笑って「じゃああたしもいく」とまた靴を履き出す。来るな、とは言えずに背中のバールだけが温度で僕を促していた。


「最近物騒だよね」
「ああ」
「あたしの友達もこの前襲われたんだ。背中、バールでぐしゃああって。痛かったって」
「……そりゃあ、可哀想だな」
 僕は何も知らない妹との会話にようやく芽生えてきた感情の名前を知った。
 罪悪感。
 僕の見えないところで僕の与えた痛みに僕の知らない誰かが悲しんでいた。
「怖いね」
「お前も気を付けろよ」
「うん、でも、やっぱり……怖いよ」
 妹は俯きながら僕のトレーナーの袖を掴む。そうして生まれた隙間に夜の風が入り込んでくる。胸元までやってきたそれが僕の心臓をノックして言うのだ。「それでもお前はお前だけのために生き続けるのか」と。僕はようやく馴染んできた罪悪感とその言葉に耳を貸さずに、自分でも驚くほど自然にこう言った。
「……まあ、でも、大丈夫だろ」
 なにが大丈夫で、なにが大丈夫じゃないのか、僕はよく知っていた。でもそれを説明できないまま、僕と妹はコンビニまで無言で歩き続けた。


 コンビニでジュースとお菓子を買って二人で歩いていると、妹が突然呟いた。
「ねえ、帰ったらスマブラしよ」
 僕らは仲の悪い兄弟というわけではなかったが、仲の良い兄弟というわけでもなかった。だから一緒にゲームなんてあまりしない。簡単にいえば意外な申し出だったのだ。
「やだよ、お前弱いじゃん」
「大丈夫だよ、お兄ちゃんは手加減してくれるよね」
「でも手加減するとお前調子乗るからなあ」
「調子のらないから、ね? お願い」
 妹は珍しく駄々をこねる。
 妹が駄々をこねる時は寂しい時と悲しい時で、そんなときは誰に甘えるでもなく決まって僕を頼ってきた。
 僕は誰かに頼られている人間だったのだ。人はどんなに腐っても誰かとの関わりを捨てることができない。それは祭りというものがボルテージをあげつつも本来の目的を失わないのと同じだ。ただ方向が違うだけ。僕はどこで道を間違えたのだろう。
 他人を不意に襲い続ける僕に、そんな価値があるのだろうか。
 でも、この痛みは僕自身を問いただす痛みだ。それは忘れちゃいけない。

「家まで競争で買ったらね」
 と僕は不意に告げて走りだす。「待ってよー」という妹の声も無視で、僕は走る。アドレナリンで記憶を飛ばすみたいに、僕は走る。背中のバールが時々べちんべちんと僕になにかを教えるように痛みを与える。それでも僕は走る。この競争にはゴールがある。そこで終わりだ。
 不意打ちで走りだした僕が先に家につく。
 どこまで汚い人間なのだろうと、僕は笑う。
 そして、何時まで経っても妹が帰って来ないので、元の道を引き返すと、妹が倒れていた。
 それはたしかに妹だった。もしかしたら妹じゃないかもしれない、と思ったけれどやっぱり妹だった。
 背中には僕が今まで何回も見てきた傷跡があった。だけど僕がつけたものじゃない。でもこれは明らかにバールで殴った時の傷口だ。なにかをえぐりとるような鋭い爪のような傷跡。お風呂上りにみた妹のきれいな背中はもう帰ってくることはない。
 僕がつけた傷跡ではないのに、僕は僕を許すことができない。でも僕がつけたんじゃない! 僕じゃないんだ! 僕ではない! 背中がひんやりする。「でもお前がつけた傷なんだ」と背中のバールは言う。
 そうしてはじめてそこで、僕のしてきたことの意味を知った。
 痛みは必ず帰ってくる。
 僕は僕自身に問いかける。
 痛みは必ず帰ってくる。
 僕は僕が与えた痛みが僕じゃなくて誰かに与えられたことで僕に帰ってきたという事実が許せない。それは僕が自分勝手でわがままだからだ。僕は誰かに痛みを与えるけれど誰かに痛みを与えられることに恐怖している。そして僕以外の誰かが傷ついていることにもおどろくほど恐怖しているのだ。
 
 どうして人を殴りだしたのかわからない。
 物置にバールがあって、何かを殴ってみようと思った。
 それが人だった。
 はじめてバールで人を殴ったときの感覚は忘れない。
 あのころはいつもお祭りだった。
 今はどうだ?
 僕の自己満足によって僕の妹が傷つけられている。かわいいかわいい僕の妹が。
 痛みに呻く妹を放置して僕は背中のバールを取り出す。
 大丈夫、これくらいじゃ死なない。
 大丈夫、これからがお祭りの本番なんだ。
 人を傷つけることは純粋なお祭りなんかじゃない。どちらかと言えば謝肉祭だ。僕らは与えられた喜びに浸りつつも常に感謝し痛みを感じなければいけないのだ。僕も『そいつ』もそういう単純なことを忘れている。
 何回もやってればコピーキャットだって生まれる。お祭りとは一人で楽しむものじゃない。
 だけど僕は僕だ。冷たいバールの血液みたいなにおいが充満して、僕の意識はより鮮明になる。
 さっきよりもなるべくはやく走りだした。できるかぎり。限界まで。
 僕は今から人を傷つけるんだ!
 走りながら永劫回帰なのかもしれないと僕は思う。ちょっとチープだ。でもお祭りってそういうものでしょう?
 何回も繰り返して、僕らは他人を傷つけたり貶めたことを喜びに変える。それは記憶のためなのかもしれない。
 今なら思う。

 そうして、雨と鉄の匂いがする道で、僕と同じだけど僕ではない奴を見つける。
 濡れたバールを隠しながら上機嫌に歩いていた。妹の匂いがする。僕は怒りと喜びで冷静になる。
 バールを強く握りしめて、僕はゆっくりと近づいた。
 


暴力を変換するシステムがあればいいのに、と小さいころ思ってました。
なんにせよ痛いのは嫌い。怖いから。


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