思ったよりも雨が降っている
 


   肩が痛いのは長時間ずっとパソコンをやっているから。肩甲骨の付け根? みたいなところがめちゃくちゃ痛い。それを真昼に訴えるとゲラゲラと笑って「キモヲタニートの職業病だね」と言う。ぼくは何も言い返せない。
 それから、シリアルを食べた真昼が家を出て行く。玄関が開いた時の光がやけに眩しい。眩しすぎて外を見ることができない。
「いってきまーす」
「いってらっしゃい」
 ぼくらは会話を交わして、感情を交わさない。ぼくの制服はワンルームの壁にかかったままで、その下にぼく僕と真昼のベッドがある。なんとなくパジャマのままブレザーに腕を通して、ゲロを吐きにトイレに向かう。
 何も食べてないのに、何かの味がした。すぐに口を洗って、それから眠った。
 ぼくにはちょっとしたことで笑ってしまうくせがあって、それをぼくに注意していたのが真昼だ。
「あんたねー、ケラケラ笑ってるけどね、それってすごい危ないんだよ」
 真昼は裸のまま、ぼくのほうを向いて言う。ぼくは無視をしていた。疲れて眠かった。
「無視すんな」
「疲れてるの」
「ちゃんと人の話を聞けー。だめなんだよそう言うの。アタシとしてもむかつく」
 真昼は怒っていた。真昼はよく怒る。ぼくはよく怒られていた。
「……なんで笑っちゃだめなの」
 ぼくはいやいやながらも真昼の話を聞く。自分の恥垢の匂いが口から漂う女はイヤだと思いながらも、それをさせたのはぼくだなと思ってもっと嫌になる。
「よく考えてみなよー。あんたが笑って誰かに話しかけるたびにさー、誰かが傷ついてるかもしれないんだよー?」
「よくわかんないよ」
「とにかく、あんたの笑顔はねー危ないの。アタシは不安よ。まあそれだけ、じゃあおやすみ」
 と言いたいことだけ言って真昼は寝てしまう。すごく静かになった部屋で、隣の家のお笑い番組の音が聞こえる。あと天井をぶつ雨の音。もしかしたらぼくらのセックスの声も聞こえてるんじゃないかなと思いながらも、気にせず寝た。寝ているときにパソコンをするとカチャカチャうるさいと真昼は怒る。
 
 次の朝、ぼくが制服を着て、それから脱いでいるのを見た真昼は笑った。
「学校行けよひきこもり」
「ぼくはひきこもりじゃない」
「よく言うよ」
 真昼は笑って、またシリアルを食べて家を出て行く。知らないバンドのTシャツを来ている真昼を見るとなんだか不安だ。真昼のことなら何でも知りたいという変な気持ちになる。
 そんなときは決まってニャン子に相談する。
「ぼくはふあんだ」
 変換するのもめんどくさいので、このまま送る。
「学校来いよ」
 ニャン子はバカだから会話しようとしてくれない。
「ぼくはふあんなんだ」
 ぼくはぼくの不安を取り除きたいのにその話すら聞いてくれないニャン子が嫌いだ。
「みんな心配してる。あの時のことは気にしなくていいからはやく学校おいで」
 ぼくは腹が立って携帯を壁に投げつける。隣の大学生がどしんと壁を叩く。壁を叩きたいのはぼくの方だ。それからもう一度制服を着て、ゲロを吐く。真昼の味がして、今朝のことを思い出して切なくなる。
 生理だというのに真昼はセックスを強要するのでぼくは血だらけのまま恐ろしくなる。
 オークションで買ったエロゲのキャラのベッドシーツが血だらけになって、ぼくは泣く。悲しくて泣いてるんじゃなかった。
「あんたが泣くなんて笑える。やっぱクズね」
「悲しくて泣いてるんじゃないよ」
 ぼくの気持ちなんて分かってたまるか。真昼に内緒で朝にゲロを吐く気持ちが。
「ねえ」
「何よクズ」
「ぼくの知らないバンドのTシャツ着ないで」
「やだ」
「ぼくはそれだけで不安だよ」
「言っとくけどアタシ、他の男とも寝てるわよ?」
 そういうことじゃないんだ、とは言い返さずに、ぼくは疲れて眠る。真昼がぼくの太ももをぎゅうとつねるけどそれも無視。
 
 朝、ここのところ雨が続くなあと思いながらぼくはクソみたいな奴がクソみたいなコミュニティを形成しているゴミ掲示板を覗く。肩が痛い。
「カチャカチャうっさい」
「ごめん」
 ぼくは急いでパソコンを閉じる。てぃ、でぃ、ででんというウィンドウズXPのあの変な音が耳にざらつく。
「今日はアタシ休みだから」
「そう」
 それから、ふたり分のシリアルを作る。
「食べさせてよ」
 真昼が変なことを言いだす。
「やだよ」
「いいから食べさせてよ」
「自分でいつも食べてるじゃん」
「食べさせてよ!!!!!」
 ぼくのシリアルのほうを掴んで、顔面に投げつけてくる。ごつん、びしゃあと二拍子で機動、シリアルと牛乳まみれに。ジャパニーズBUKKAKE。エロサイトでもこう書いてあって超笑う。でも今はなんだか悲しい。
 真昼はぼくに顔を拭かせてくれない。スプーンを口まで持って行って、「あむ」って言いながらシリアルを食べる。
「アタシのほうが超かわいいよね」
「うん」
 かわいいよ。ぼくは知っている。ぼくは真昼より真昼がかわいいって言うことを知ってるんだ。
 食べ終えた真昼がまたセックスを強要してくるので、またシーツが血だらけになるなあと思った。
 取り替えたシーツの女の子は作品内だと生理が来る前にレイプされていたのでちょっと悲しくなってまた泣いて、真昼にバカにされるけど悲しくて泣いたわけではなかった。
 一日中セックスをしていたので真昼は夜になるとすぐ寝た。馬鹿だけどかわいいなとぼくは思った。ぼくよりも馬鹿だと思うのはぼくが馬鹿だからだ。
 携帯を開くとニャン子からメールが着ていた。
「あの時のこと、まだ気にしてる?」
 ニャン子も真昼と同じぐらい馬鹿だからかわいい。
「別に」
「ごめんね」
 謝るというのは言葉だけだったら簡単だけど態度とかいざ伝えるとなると本当に難しい。ぼくらは必死にぎこちなさの周波数を何とか合わせて通信しようとするけど互いに発信しているノイズがジャマをする。つまりぼくが聞きたいのはそう言うことではないのだ。
「別に」
 ぼくは機械みたいに送る。送りつけるという表現のほうが正しいかもしれない。
 それから、文字を打つ音でイライラした真昼が送信先を見てもっとイライラしてしまって、ぼくを叩いた。

 朝になって、真昼が家を出た。今日はシリアルを食べなかった。いってきますを言わないのがなんか不安で、ぼくがいってらっしゃいを言うと後ろを向きながら手をあげた。
 それから制服を着て、ゲロを吐いた。
 もういやだなあと思いながら連続テレビ小説を見て、真昼の枕の匂いを嗅ぎながら寝ているとインターホンが鳴る。
「マー君、開けて」
 というのはニャン子でぼくは反射的に開ける。
「久しぶり」
 ぼくが無言のままで居ると勝手に上がってきたニャン子が笑いながら言う。
 むかついた。
「元気にしてた?」
「まあ普通に」
 ぼくは言う。ぼくはぼくの中の真昼が消えてしまわないようにずっと真昼の感触と声とを思い出しながら無理矢理に答える。
「学校、行かない?」
 ぼくが無言のまま韓国ドラマを見だしたのでニャン子は提案した。ぶっ飛ばしてやろうかと思ったけどニャン子はそれなりにかわいいのでやめた。
「やだよ」
「みんな心配してるって」
「ぼくのことは心配じゃないの?」
 とぼくが冷たく言うので、ニャン子はミュートボタンを押されたみたいに音を消す。ぼくも黙る。テレビからは男女が韓国語で言い争う声が聞こえる。ニャン子のぐちゃぐちゃな顔を見ているので字幕が見れない。ここは日本なんだから日本語で喋ればいいのにとぼくは思った。
「やっぱりあの時のこと気にしてるんだね」
「別に」
 ぼくは言う。
 終わったことだから気にしてるはずがなかった。
「ねえ、やっぱりうちに帰ってこない?」
「やだよ」
「お母さんも心配してるし、マー君ちのおばちゃんも急に出てったって言ったら心配してたよ」
 ぼくは母さんに真昼の家に住んでいることを伝えてある。学校にあんまり行ってないことは伝えてない。
「真昼と住んでるここが、今のぼくの家だ」
 ぼくの家はここだ。真昼と住んでる六畳半のここがぼくの家だ。
 でも、ニャン子は認めない。泣き出す。すごいうるさい。テレビの声が完全に聞こえなくなる。隣の大学生が壁を蹴る。蹴りたいのはこっちだ。
「おねえちゃんも、マー君もおかしいよ」
「お前が一番おかしいよ」
 ぼくが即答する。もうニャン子と住んでいたあの家には帰りたくない。
「わたしマー君が好き」
「ぼくだってニャン子が好きだよ」
 雨の音がする。
 それからぼくらは久しぶりにセックスをした。もうとっくに、ニャン子が恋人だったことなんて忘れていた。真昼のことは忘れていた。夕方、一緒に帰ろうとニャン子が言ったけどぼくは帰らなかった。あの家のぼくのベッドのシーツは何回とりかえたって汚れてるんだろうなあと思ってしまう。
 それから帰ってきた真昼がニャン子の匂いがするって言って暴れだす。ぼくを叩く。ベッドの匂いにも怒り出す。どうして姉妹なのにいがみ合うんだろうとぼくは思う。小さい頃はぼくと真昼とニャン子で寝てたのにね。
 眠りながらぼくを離さない真昼に後ろめたさを感じながら雨の音を聞く。梅雨って長いなあと思う。
 
 ぼくが作ったシリアルをまた食べさせてから、真昼は家を出た。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
 それから制服を着て、ゲロを吐くかなと思ったら吐かなかったのでそのまま家を出ようとしたけど、雨が強かったのでやめた。帰ってきてぼくらのベッドが濡れるのはよくないなと思ったから。
 そして、あとからやってきた吐き気とトイレにゴールインして、口を濯いでる途中でインターホンが鳴る。
「やっほ」
 ニャン子だった。
 ぼくがドアを開けるとほぼ同時に足を入れてくる。
「制服着てるじゃん」
「気分でね」
「学校行く?」
「行かない」
「まだ気にしてる?」
 そうじゃないし、しつこいと思った。
 ぼくが無視をしてるとまた勝手に上がってくるので、今度は本気の無視をして連続テレビ小説を見る。健気な女の子が地方から上京して社会の厳しさを知るみたいな話。ゴミだ。クズだ。そんな話があるわけない。どうして現実よりも現実みたいなんだ。ぼくは怒る。
「無視しないで」
「無視したら駄目だよ。ちゃんと人の話は聞いて」
 姉妹で同じこと言うなよとか思いながらぼくは無視を続行。健気な女の子がいつもはいじわるな職場の上司に優しくされて自分の恋心を知る、みたいなところで今日の話は終わる。クソみたいな十五分をクソみたいな奴と消費する。
「ねえ笑ってよ。昔はよく笑ってたよね。わたしマー君の笑う顔好きだよ。落ち着くから」
「もう笑うのはやめたの」
 ぼくは言う。
 不意にドアが開く。
「あんた、なんでここにいるのよ」
 その「あんた」とはぼくじゃない。
「おねえちゃん」
「なんでここにいるのよ!」
 真昼のほうを向きながら微笑むニャン子と、ニャン子のほうを向きながら怒り狂う真昼。ぼくは韓国ドラマを見ていた。
「わたしはマー君を迎えに来ただけだよ」
「こいつは絶対に行かないわよ」
 真昼が断言するのでぼくはちょっと傷つく。
「そんなのわからないじゃん。だって現に制服着てるし」
「こいつはね、傷ついてるその原因から目を逸らしてるの。ゴミクズなんだよ。で、その原因があんた。わかる? あんたが傷つけてるんだよ」
 怒り狂う真昼。昔は仲の良かった姉妹とは思えない。
「おねえちゃん、おかしいよ」
「おかしいのはあんたじゃない!」
 それはすごい判る。
 真昼がドアを閉めて上がってくる。傘を乱暴に立てかけてそれからテレビの電源を消す。ヒロインが「ここのコーヒーが美味しいのよ」って言いかけたところで消える。ぼくは目を瞑る。
「勝手に家でてって、しかもマー君連れてくなんて、どっちがおかしいって言うの? しかもこの家の家賃は身体売って稼いでるんでしょ?」
「そんなの恋人のベッドで父親とセックスしてるやつに言われたくないわよ!」
「おねえちゃんだってマー君とエッチしてるじゃん! 親戚なんだよ!」
「こいつはあんたの元恋人でしょ! だったらあんただって変じゃない!」
「元じゃないもん、今だって恋人だもん! わたしたちは愛し合ってるからいいんだもん!」
「愛し合ってるならなんで他の男と恋人のベッドでセックスするのよ! しかも父親と!」
「おねえちゃんには関係ないでしょ! だいたいおねえちゃんだって他の男と寝てるじゃない!」
「こいつだってそれは知ってるわ。別に気にしてないわよ」
「うそでしょ……? マー君身体売ってるお姉ちゃんは汚れてて醜いから嫌いだって言ってたじゃない……ねえ、そうだよね……今もそう思うよね……?」
 どうしてぼくに話を振るんだよ。
 こんなに雨が降ってるのに僕らの汚れはなかなか落ちない。雨の量じゃなくて強さなのかな、とか一瞬思うけどやっぱ違うなって否定する。
「ぼくは真昼もニャン子もかわいいと思うよ」
 どっちか選んで、と二人が言う。
 クソみたいだなあと思う。
 テレビをつける。
 韓国ドラマの続きで、年取ったおばあさんとおじいさんが深刻そうな話をしてて、おばあさんがおじいさんに「あの子がこうなってしまったのは、それを知りながら目をそらしてきた私たちの責任なんですよ」と言う。おじいさんは頷く。
 また真昼がテレビを消すので、ぼくは言う。
「ぼくの家はここだ。でもぼくが好きなのはニャン子だ。でもぼくは帰らない」
 雨の音が力をまして、もうすぐそこまで迫っていた。ぼくはなんとなくパジャマに着替えて、外に飛び出して、綺麗になりますようにと願った。


昼ドラ意識しちゃいました。


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